第10回 三手詰祭 作品募集

これから三手詰祭は1月と7月の年に2回開催を目指したいと思います。

課題 三手詰を作ってください。

1人10作までにします。
課題はありません。
各自でテーマを設定し作ってください。

類作可。ただし同一作がみつかったらノーカウントになります。
わざと不要駒を追加するような行為も駄目です。

  • 未発表作に限ります。
  • 投稿は一度にまとめてお願いします。
  • 投稿先はkazemidori+kadai@gmail.com
  • 締切は12月29日(月)

「未発表作」とあるけれどtwitterで流した作品はダメですかと質問がありました。
昨今はtwitterも既発表とする風潮ですが、つみき書店はそんなに厳しくしても仕方ないのでインプレッション3桁まではOKとします。(1000を超えていたら既発表扱い)

遊びは秘めやかに

 このブログを読みに来てくださる方は恐らく将棋というゲームを遊んだことがあるに違いないだろう。将棋を指すということは二人でその時間を共有して楽しむところに本質がある。その記録として棋譜というものを残すことができるが、それは遊びの残骸に過ぎない。そこから二人が何を考え何が起こったのかを読取ることは至難である。
 遊んだことはないが茶という遊びもある。主人がどんな趣向を凝らしたか、客はそれを読み取ることができたか。主人と客が共有した時間と空間がその遊びの本質である。記録に残すとしたら「お茶を飲んだ」というだけ。「王手の連続で相手の玉を詰ました」となる詰将棋とどことなく似ている。
 歌仙という遊びをご存知だろうか。筆者は一度だけ参加したことがあるのだが、文学的才能がないので四苦八苦だった。発句の五七五に対して次の人が七七をつける。また次の人が五七五をつなげるという連歌の一種で、松尾芭蕉が完成させ流行させた遊びだ。これも完成品は記録に残る。しかし実際にはリーダーが直しを要求したり自ら直したりという作業をするし、参加者が頭を捻り苦心惨憺するその時間と空間が遊びの本質なのだ。巻かれて完成した歌仙は将棋の棋譜と同じ、遊びの熱や興奮を伝えるものではあっても、遊びの目的ではない。

 小川悦勇 風ぐるま1955.5改

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詰将棋で遊びましょう